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リサーチとポストイットの限界から考えると

リサーチとポストイット以上の思考回路を学生に持たせるのが,高等教育をしている人の役目だろうと,ここ5年ほど思っています.リサーチの危うさは,カリスマ女子高生に聞いて商品開発したと自慢げにTVを賑わしていた商品が,継続できていないことからも分かります.

ポストイットに思うことを文字にすれば新たなアイデが出てくるというのも安易すぎます.何度もポストイットを使ったKJ法などを経験した人なら頷くところでしょう.

デザインがその程度のレベルであると思っている人が多いという事実も分かっています.昔から言われているのが,弁当の包み紙です.中身は変わらないのに美味しく見せてよ,それがデザインでしょ!っていうやつですね.

ジョブスが,一般の人に聞いて,iPhoneが必要と思ったわけでないことからも,リサーチが重要という人の危うさは気がつかなければならないのに,未だにリサーチが絶対と言っている教育者がいるのも事実です.

さて,では,どうすれば良いのでしょうか.一つは,例えば,MIT テクノロジーに毎月お金を払って最先端の技術を知る,ということのように,お金をかけていろいろな分野の知識を得ることです.複数このようなことをするとカリスマ女子高校生やカリスマ主婦に聞く無意味さが痛いほど分かるはずです.

ところが,全てがこれで済むかというとそうはいきません.例えば,患児の保護者の思いや,障害を持った保護者の気持ち,不治の病の人の気持ちなどは,幾らお金を払って情報を得ても,経験から想像しても,それを越えたものがあるからです.もしそれまでも分かると言うならそれは思い上がりでしょう.

チャイルドライフ・デザインを進めるスタンスは,あらゆる情報を駆使して感性デザイン学を修めた人しか提案できないレベルでデザインを考えることです.そして実際に患児・患者・看護師・医者に使ってもらって修正をかけなければなりません.本当に考えたとおりなのか最後に尋ねるのです.意図するの内容に対応できるレベルの看護師の意見であれば,真摯に修正しなければなりません.

しかし,問うレベルに足りない看護師に尋ねても仕方がありません.なぜあえてそう言うのかというと,あるアワードの表彰式で,医療デザインを提案した人が受賞しましたが,その時にパネリストに呼ばれていたある病院の看護師長が,こういうデザインを一つしてもらうと看護師の負担が増えるだけだから困るのです,ということを言ったからです.おそらくそれは紛れもない事実だったのでしょう.しかし,それを解決する方法を考えることなく口にする浅はかさに驚きました.おそらくこういう人が上に立つとどんな提案も却下されるでしょう.そう言う人に問題解決案を尋ねても無意味だということです.

では,最初から患児や患者や,現状を何とか改善しようと考えている看護師に尋ねれば良いではないか,と考える人もいるかもしれませんが,それは無理です.カリスマ女子高生に尋ねるレベルを求めていないのですから.

そこで考えなければならないのが,感性デザイン学による問題解決の手法です.その手法を身につけさせてあげることが,感性デザイン学を教える側の義務です.デザインシステム,デザイン思考はデザイン学を学んでいない人でもできますが,それを具現化まで持って行くことを教えることがデザインです.この一連のセットを第三機関に示して認めてもらうのが,学術論文・特許・デザイン賞受賞ということになるのです.