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核心を最初に言う

核心を最初に言うことは、とても重要であると思っています。

昔、某出版会社による、異分野の方と1対1の対談を録画して文章に起こして出版するという企画にのったことがあります。結局、出版されることは無かったのですが、その理由は良く分かっていました。

冒頭で、対談の末にあるべき結論を言ったからです。

司会者の慌てぶりからみて、失敗だったなと思ったのですが、最初に述べたかったのです。なぜなら、ある意味分かっている解に向かって順序立て示すことよりも、解を示して、そこに到達すべきプロセスの多様性を話した方が遙かに面白と思ったからです。

まどろっこしい手続きなど、人は求めていないはずです。

ニッチな例かもしれませんが、万年筆が好きで「人生で使っておくべき万年筆」を知りたいと思って検索すると、万年筆の仕組みの説明から始まって、手書きの良さや、紙やインクによって書き味は変わる・・の説明があり、やっと5,000円以下では、となるのです。いやいや人生やで・・と突っ込みたくなるのです。

これは、ブログのヒット数を伸ばすためのノウハウとか、検索キーワードの入れ方によるという話しは、こっちに置いといて、核心を最初に知らせるということを恐れている人が、多いと思うのです。

学会における口頭発表では、背景・目的・実験・結論・考察・今後の展開という手順に従うことで、誰もが論理的手続きを知ることができるわけです。
しかし、サマーセミナーなどは、先ずプロトタイプを手に持って「このデザインは、こう言うものなのです・・・なぜこう言うものを提案するかと言うと・・」と話すようにさせています。なぜなら長々と背景を説明されても、それは分かりきっていることであり、限られた時間内で聞きたい内容ではないからです。

学術的とは、論理的手続きの上に成り立った結論が重要ですから、今までの手順を踏襲しなければなりません。共通言語と同じだからです。これとは、まるで逆の手順は、結論から述べて、なぜなら・・となるわけです。この方が、圧倒的の面白いと思うのです。なぜなら、その結論なら思考方法は、もっとあるだろう、もっとあるなら別の解があるだろう、と言うことを指摘できるからです。

今まで当たり前と思っていた思考プロセスを変えるのと同じくらい面白い結果をもたらせるので、核心から述べるというのは、実に面白いのですよ。

さて、出版されなかったと言うことは、この詰めが甘かったと言うことでしたねぇ・・