講演で絶対に使わないと意識しているのが「・・ではないでしょうか」です。
しかし、講演後に講演内容を文章化すスペシャリストから送られて来ると、このフレーズが多用されているのです。
綿密に話す内容を吟味しているので、脚色とも言えるこの文言に驚くわけです。
この疑問を投げかける言い方は、共感を得ようとするに簡単なフレーズと思っているからでしょうね。つまりは、聴衆者に考えてもらうためには、正しいと思っているからでしょう。
その良し悪しの議論はお任せするとして、講演をする者としては使うべきではない!と考えているのです。
なぜなら講演とは、講演者の考え方を聴きたいために集まっているわけですから、なぜ疑問を投げかける?のかと思うからです。
講演者が「これは、こうだ!」という言い切った言葉を受けて、聴衆者が考えるところにこそ意味があるはずです。「・・でしょうか」など、所在を曖昧にして疑問を投げかけるべきではないのです。
講演者の言い切った言葉を、「問い」として持ち帰ってもらうことにこそ、意味のある講演と考えているののです!
問いを提示する・・それを受け、考えながら帰路に着く。その問いを友と盃を交わしながら議論する・・素敵じゃないですか!これこそが、私が講演を受ける意義なのです!
さて、もう一つ言及しておきたいのは「自分の確固たる考えがあるなら、人に否定されても負けない態度を取りなさい」ということです。実は、これがとても重要なのです。
若い時は、学会の発表準備に時間をかけて、どのような質問があるかを想定して、回答を用意するはずです。しかし、実際の質問は、重箱の隅を突くような内容であり、自信を喪失させるような指摘が多いものです。その時は、若いがゆえに頭が真っ白になり、受け入れた回答をしがちですが、後日、冷静になり、よくよく考えてみれば、実にくだらない内容がほとんどであることに気がつくはずです(ちょっと角のある言い方ですよね。でも、真実なので敢えてオブラートで包んだ言い方をしません)
つまり、新しいことを示すことは、非常に困難を要するということなのです。なぜなら既成概念でしか判断できない人だけが、声を大に言うのですから。
つまりは、新しい知見にコメントすることは、誰でもできるのです。新しい知見を言えない人は、否定的なことしか言えないのです。
これは、学会の口頭発表に対する質問やコメントに限らず、講演でも同じです。
新たな知見を持って自分の考え方を言うことは大変難しいというのは、こう言う否定的な意見を言う輩が実に多いからです。新たな知見を・認めたくない輩は、否定することで自分の立ち位置を担保しようとします。
こうした指摘に、歳と経験を積んだおかげで、幸いにも、相手の根拠となる考え方の間違いを指摘する術を身につけましたから、闘争心が湧きあがるのですよ。
だって、自分の人生をかけてやっていいますからね!
そう簡単に引き下がるわけにはいきませんよね!?
しかも既存の、誰もが言えるような内容に対して。
既存の方法論を盾に指摘するような人に屈してはなりません。既存の方法が正しいなんて、信じているところにこそ間違いがあるのですから!
言い換えれば、常に自分の考え方は、これで間違っていないのか、振り返ることが必要ということも教えてくれるわけです。