大学院生の学内発表会や学会発表における概要は、正しい書き方を教授することが重要です。なぜならロジックが通っているかどうを教えるのが高等教育機関であり、論理的構成によって示すことが科学的検証に必須だからです。
しかし、その手順どおりのプレゼンテーションを見るのは・・飽きた!と思うことがしばしばあります。なぜならデザインの場合、それであなたは何を具現化したのですか?と言うところに興味があるからです。
寄せ集めの知識から、こういうモノが求められている言うことは、実は誰でもできることなのです。言うのは簡単なのです。ハードであれソフトであれカタチあるモノとして示すことがきない人は、結局言うだけの人に過ぎません。
デザインを学ぶなら少なくとも、今、頭の中に浮かんでいるのは、こういうモノでであると描いて見せなければなりません。そうしなければ「なんちゃってデザイン」の域を出ることはありませんからね。
KDSS(感性デザイン・サマーセミナー)における研究発表のプレゼンは大学院のみですが、先ずモノを先ず見せるようにしています(他大学の学生は自由でし)。作りかけのモノでも良いし、カタチになっていなければアイデアスケッチでも良いのですが、カタチあるモノとして見せるのです。言葉だけではだめなのです。
「先ず、見せろ!」そして何を考えてるか「語れ!」・・です。
なぜ、この方法を採るかというと、考え方とアウトプットとしてのモノとの整合性が、(本人自身が)明確になるからです。
勿論、聴衆者の「結論を一刻も早く見たい!」という欲求に応えて、しかも「どうして?」という疑問へと繋がる思考プロセスに真っ直ぐ応えるためです。前振りは「もう良いから、早く結論を言えよ!」という思いは、誰もが持つ気持ちなのです。それは、TVが用いるようなフリップを用紙で隠して、もったいぶって剥がす方法など愚の骨頂であり、聴衆者を愚弄している行為だということに気付くべき、というのと同じことなのです。
思考プロセスが正しいからといって優れたデザインができるわけではありません。優れたデザインだとしても思考プロセスが優れているというわけでもありません。そうであれば、どちらから話をしても良いはずです。プレゼンにおける分かりやすさの組立は、決まり切った方法があれば正しいように感じてしまいますが、それが常に正しいと思うべきではないのです。大学とは、実験の場です。研究発表の方法などに「絶対などはない!」というスタンスこそ重要なのです。